私は昔から「しっかり者」と呼ばれる子どもでした。
親を安心させたい、喜ばせたい一心で勉強も頑張った。
けれどそのうちに、自分が好きなものが何なのか分からなくなっていき、
気づけば「私は何者なのか」という答えを失っていました。
私がなりたかった“何者か”の一つは「強い人」。
自分で何でもできて、人に頼らなくても生きていける人。幼いころ親から「人に何かを尋ねられるのは子どものうちだけだよ」と言われ続け、その言葉が大人になっても私を縛っていました。
だから私は「頼る=甘え=ダメなこと」という方程式を信じ込み、誰にも頼らず生きることが強さだと勘違いしていたのです。
でも本当は、弱い自分でも認めてもらいたかったし、甘えたかった。
苦しさを分かってほしかった。
今なら分かります。あの経験を無駄にせず、頑張り続けてきた自分を「よくやった」と認めてあげることこそが、当時の私を救う唯一の方法だったのだと。
今でも時々、昔の私が「忘れないで」と顔を出します。
そのたびに私は「ちゃんと覚えてるよ、よく頑張ったね」と声をかけて、心の中でヨシヨシするようにしています。強さとは、我慢し続けることではなく、弱さを抱えた自分も優しく受け入れることなのだと思えるようになりました。