愛着障害を克服して変化した「大切な人」との関わり方

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愛着障害を抱えていた頃の私は、
人と関わること=我慢すること」が普通だと思っていました。

大切にしたい人なんて、せいぜい家族くらい。
友達もいたけれど、心の奥では信用していませんでした。
「どうせ私のことを下に見ている」「いつか裏切られるに違いない」
そんな疑いの目で、常に身構えていたように思います。

恋人ができても同じでした。
「本当の私を知られたら幻滅される」
「嫌われたくない」
そう思うあまり、気を遣いすぎて自分を見失っていたし、恋愛を心から楽しむこともできませんでした。
“愛されたい”という気持ちが強すぎて、“愛する”ことが怖かったんです。

でも、愛着障害と向き合い、少しずつ回復していくなかで、大きな変化が起こりました。

それは、「この人が、今、私の隣にいてくれる」
それだけで、感謝の気持ちが湧くようになったことです。

以前の私は、「この人が私をどう思っているか」にばかり注意を向けていました。
でも今は、「一緒にいてくれてありがとう」と、自然と思えるようになっています。

そして、そんなふうに思えるようになったからこそ、私はその人たちと対等な関係でいたいと思うようになりました。

相手が困っていたら、できる範囲で力になりたい。
そして、自分が困ったときは、素直に「助けて」と言える自分でいたい。

一方的に頼るでもなく、我慢するでもなく、
お互いを支え合うことで築かれる絆があるんだと、今は実感しています。

そしてもうひとつ、人との関わりで私が特に意識していることがあります。
それは、「境界線を引く」こと

どれだけ大切な人でも、されて嫌なことや、望んでいない言動があります。
無理にすべてを受け入れようとするのではなく、
「それは嫌だな」と感じたときに、自分の気持ちを大切にすること。

以前の私は、「大切な人に嫌な顔をされたくない」「嫌われたくない」という思いから、
自分を犠牲にしてでも尽くそうとしていました
でも、そうやって自分を押し殺す関係は、長続きしないことも痛いほど経験しました。

自分らしさを失ってしまう関係は、決して“愛”とは呼べない
今の私はそう思っています。

本当の愛って、
相手を思いやりながらも、自分の気持ちを尊重すること”だと、ようやくわかってきました。
だから私は、これから出会う人とも、今そばにいてくれる人とも、
お互いを大事にできる関係を築いていきたいと思っています。

支えたり支えられたり、時にはすれ違いながらも、
ちゃんと向き合っていこうとすること。

それが「人と関わること」の、本当の温かさなんだと、
愛着障害を乗り越えた今、心からそう感じています。

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