こちらのコンテンツは、愛着障害さん特有の生きづらさを解消するための方法や大人の愛着障害の克服法について4章に渡って詳しく解説しています。
それぞれの章にはワークシートもありますので、ぜひお試しください。
目次
第1章 愛着障害さんが生きづらさを解消する方法
第2章 他人軸で生きていくことの意味
第3章 自分軸を作るための3つの基本
第4章 愛着障害を克服して生きづらさを解消したいあなたへ
第1章 愛着障害さんが生きづらさを解消する方法
こんにちは
心理カウンセラーちえです。
この度は、テキストコンテンツ「愛着障害さんが生きづらさを解消する方法」に
興味をもっていただきありがとうございます。
本コンテンツは、元愛着障害の私が実践した
大人の愛着障害(以下、愛着障害)の克服法などをご紹介しながら
愛着障害さん特有の生きづらさを解消するための方法について
詳しく解説していきます。
全4章で構成されていますので、
毎日一章ずつ読み進めていただいてもいいですし、
先が気になるという方はどんどん読み進めていただいても構いません。
本コンテンツが皆さんの生きづらさを解消するヒントになればと思っております!
本題に入る前に
まずは、私の自己紹介をさせてください。
普段は、SNS発信や心理カウンセリングを通して
愛着障害に悩む方のサポートをしています。
まずは簡単なプロフィールから↓
元愛着障害で克服経験あり。
総合病院で看護師をしていましたが、
中学生のころからの夢でもあった心理カウンセラーになることを決意し、今に至ります。
夢を実現した今の私は、
忙しくも充実した日々に幸せを感じています。
そしてありがたいことに、周囲も応援してくれています。
今は順風満帆に見える私にも、実は
「生きづらい」「〇にたい」と思っていた時期がありました。
まずはそんな、私の過去のお話からしていこうと思います。
少し分量は多いですが、
物語の様に書いていますので
さらっと読めるかと思います。
ここからが私の物語です。
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私は大学卒業後、晴れて看護師国家試験に合格し、
ある総合病院の整形外科病棟に
勤めることになりました。
病棟の同期は4人。
同じ大学の同級生も一緒で、
これに安堵したのを覚えています。
しかし、安心もつかの間。
そこから1年、私は地獄を見ることになります。
「「「とにかく毎日が苦しい!」」」
仕事に行けば同期と比べられ、
病棟の先輩からは
批判的な発言や暴言を吐かれる。
例えば
ナースステーションで先輩と鉢合わせると
「邪魔」と言われ
任された仕事が終わっていないと報告すると
「ありえない。仕事遅すぎ」と言われる。
今考えると、おかしいですよね(笑)
邪魔なら自分が違う導線通ればいいのにー。
それでも当時は、
他の病院に勤めている友人も
「そういう人いるよね~」みたいに言っていたので
それが普通なのだと思っていました(笑)
医療現場って時代遅れなところが結構あります。。
そして
私が毎日が苦しいと感じていた理由は他にも。
同期と話していると
この子先輩から可愛がられているから悩みなさそう、と
敵対視してしまう。
同期は唯一の仲間です。
それなのに仲間だと思えなかった。
単純にこれは、嫉妬でした。
仲間のことを信じたかったけど、
それができない自分のことが嫌いでした。
仕事が終わって家に帰っても
仕事のことを考えてしまって全くリラックスできない。
何度、朝が来なければいいのに、
と思ったことか。
そして、最も私の心をえぐった事が
「親が私の苦しさを理解してくれなかったこと」です。
両親というか、特に母。
私が「看護師は向いていないと思う」「職場に誰も味方がいなくて苦しい」と相談しても
一年目は苦しいものだから、とか
仕事があるだけありがたいと思わないと、とか。
私の苦しさを全く理解してくれませんでした。
私の母って、
全く私の気持ちに寄り添ってくれないんですよね。
実家に帰るたびに涙目になりながら相談するんですけど
全く分かってくれない。
どう言っても理解してくれないんだろうなと感じて
ついに、相談することをやめました。
「私のことなんて誰も理解してくれない」
こんな風に思い始めたのは、
その頃に始まったことではありません。
思い返すと小学生の頃からでした。
私の学生の頃を知る人は
私のことを、静かで真面目、優しいと言います。
でも本当の私は
全く真面目でもなかったし、優しくもなかったのです。
小学生の頃から私は、常に成績上位。
今の私も感心するくらい、
毎日予習・復習を欠かさないような子どもでした。
でもそれは真面目だったわけでも、
勉強が好きだったわけでもありません。
私が頑張る理由は…
「両親に褒めてほしかった」から。
特に母は、私のことを褒めることは
ほとんどありませんでした。
「もっと頑張りなさい」
「次はもっといい点とれるね」
こんな感じ。
そんな母に認めてもらいたい、
もっと頑張らないと、と行動した結果、
周りに真面目だと思われたのです。
あの頃の私頑張ってたなぁ、、
さて、
社会人の話に戻りますが、
私は自分の苦しみを分かってもらえなかったことで
次第に自分を理解してもらうことを諦めるようになりました。
そんな私がどうしたのかというと
大人になっても母に認めてもらうために、
苦しい日々を乗り越えることに決めたのでした。
それは努力ではありません。
“我慢”です。感情を殺して淡々と毎日を生きていました。
それから看護師として2年目を迎え、
環境や仕事内容にも慣れてきた時期でした。
その日は突然やってきます。
産婦人科病棟への「異動辞令」です。
嘘でしょ…
やっと先輩たちとも仲良くなってきて
頼られるようになってきたのに、、
正直、どうして私なの?と思いました。
同期の中で優秀な人が異動するはずだと思ったからです。
疑問に思った私は上司に理由を尋ねました。
すると、
「真面目で優しくて素直なところ。
ちえさんはいつも一生懸命だから、
他の病棟に出しても恥ずかしくないと思ったの。」
嬉しさ半分、悲しさ半分。
正直、また優しいかー、と思いました。
みんな、私のいい子の部分しか見ない。
悪いところを見たらいなくなっていくんだろうな、と。
今考えれば、私がそう見せていたから
当然なんですけどね。
当時の私には絶望感しかなかったんです。
そしてプレッシャーを抱えたまま
ついに、産婦人科病棟へ異動。
そこでの私は散々でした。
教えてもらうことが全く頭に入ってこない。
文章の内容が理解できない。
病棟のスタッフがみんな私を見ているような気がする。
優しく教えてくれる先輩でさえ陰では悪口を言っているに違いない、と決めつける。
この頃の私は「すみません」が口癖になっていました。
とにかく自分がここにいてはいけないのだと感じていたのです。
そして、異動になって一ヵ月ほど過ぎたある日の朝、
私が病棟にいると上司のAさんが話しかけてきました。
「そろそろ慣れてきた?何か悩み事があったら聞くよ?」
私は、その言葉に涙が止まらなくなってしまいました。
なぜなら、私の存在に気付いて貰えたような気がしたからです。
緊張の糸が切れたかのように、私はAさんに今辛いことや精一杯であることを涙ながらに伝えました。
(話しているとき、私は人の期待にこらえられなかったから終わりだ…と絶望していたのを覚えています。)
この時の私は
「適応障害」になっていました。
結局、2~3日お休みを貰ってそのまま1か月程度、休職することになりました。
休職が決まって落ち込みましたが、意外だったのは”解放された気分”もあったことです。
まるで「いい子でいなくていい期間」を貰えたような気がして。
そして、休職期間に入って2週間ほどたったころ。
私は思い立って自分の苦しさの原因について
ネットで調べることにしました。
周りを見渡しても自分だけが生きづらいような気がして
それを解決したかったのです。
すると検索結果に、
”生きづらいのは幼少期の経験が関係している”
それは、あるオンラインカウンセリングルームが書いた記事でした。
ん?どういうこと?
そう思った私は記事を読みあさり、
そこのオンライン心理カウンセリングを
受けてみることにしました。
ここで「愛着障害」というワードに初めて出会ったのです。
(適応障害も愛着障害と深く関係していると後から知ることになります)
この出会いをきっかけに
私の人生が一変しました。
本コンテンツで解説する「愛着障害の生きづらさの解消」のヒントを
得ることになるのです。
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いかがでしたか?
かなり長かったと思います。
ですが、読みやすいとの感想はたくさんの方からいただいてます。
私の人生を共有することで
本コンテンツは読みやすくなりますし、
心理カウンセラーちえは、こんな生きづらさを抱えていた人なんだな。
ということを理解して欲しいのです。
今の私しか知らない方に過去の私の話をすると、
そんな苦労をしていたんですね、とか
全く想像できません、とか
言われるんです。
これって私が変わったという客観的な証拠ですよね。
人は変わる方法が分からなければ
変わることはできません。
でも方法さえ分かってしまえば
意外とすんなり道は開けるんだと、
これまでの経験から学ぶことができました。
この経験は私にとって大きな財産です。
本コンテンツでは、
私が実践した愛着障害の克服法はもちろん
愛着障害の克服を通して学んできた
たくさんのことを共有していきます。
ぜひ全4章のテキストコンテンツを楽しみにしておいてください。
前置きが長くなってしまいましたが、いよいよテキストコンテンツ「愛着障害さんが生きづらさを解消する方法」スタートです!
まずは皆さんに質問です。
皆さんはどんな生きづらさを抱えていますか?
・完璧主義で苦しい
・人に嫌われるのが怖い
・どうせ裏切られると思う
・人間関係で悩むことが多い
・自分の考えや気持ちが分からない
・周囲に流されて自分がないと感じる
・自分の気持ちを伝えることができない
・自分は愛されない存在なんだと感じる
・人の愛し方が分からない
私が感じていた生きづらさをザっと書き出しただけでも
こんなにあります。
(自分で書いていて多いな…と、ちょっとびっくり)
誰かといると生きづらいな…と感じるので、
一人でいるのが楽でした。
私は心理カウンセリングで愛着障害さんとよくお話しするのですが、
ほとんどの方が「人といると疲れる」「寂しいけど疲れるよりはマシ」と
私が思っていた「一人が楽」に共感してくださいます。
では、ここで皆さんに考えてみてほしいのですが
どうして愛着障害さんは人といると生きづらさを感じるのでしょう?
愛着障害さんの生きづらさの正体って何なんですかね?
答えは…「ありのままの自分でいられないこと」が生きづらさの正体なんです。
どういうことなのか…?
愛着障害について復習しながら解説していきますね。
大人の愛着障害とは、
【愛着形成ができていない=”人”を愛せない】
状態のことを言います。
ここでの“人”は、あなた自身のことも含んだすべての人です。
愛着障害の原因になりうるものには様々ありますが、
主に幼少期に安定した愛情を受けられなかったことが大きいと言われています。
例えば、過干渉・過保護な関わり方をされていた、
虐待(身体的・精神的・性的)を受けた、いじめを受けた、などの出来事が
要因になりますね。
この中でも特に厄介なのが、「精神的虐待」「過干渉」「過保護」です。
これらは、傍から見ると教育やしつけだと思われたり、そんな親のことを評価する見方もあるので、子どもへの悪影響を考慮されないことが多いのです。
幼い時にこんな経験はありませんでしたか?
・両親に褒められた経験がない
・兄弟と比較されて育った
・自分の話を聞いて貰えなかった
・リスクばかりを教えられて挑戦させてもらえなかった
・両親からお互いの悪口を聞く「聞き役」になることが多かった
・家族から無視されたり、悪口を言われていた
・やりたくもない習い事を強制的にさせられていた
・ノックをされずに部屋に入られるなど、プライバシーがなかった
・何事も先回りして準備されることで、失敗する経験をさせてもらえなかった
・服装や趣味に口を出され、尊重されなかった
子どもの心は繊細で素直です。
素直だからこそ
親が自分を認めてくれないのは自分のせいだと感じたり
親を自分が支えないといけないと抱え込んでしまったり
我慢すればいいのだと自分を責めてしまったり。
このように、ありのままの自分を愛してもらえなかった経験が”トラウマ”となり、
結果、自ら「ありのままの自分」を隠したり放棄したりするようになるのです。
そんな子どもが大人になっても、突然ありのままの自分で生きられるようになるわけではありませんよね。
大人になってもありのままの自分でいられない。
これこそが愛着障害さんの生きづらさを感じる正体と言えます。
そして、「ありのままの自分でいられない」とは、
「他人軸で生きている状態」とも言えます。
皆さんにも他人軸で生きていることの心当たりがあるのではないでしょうか?
ここで少しだけ、私が他人軸で生きていた時の話をしたいと思います。
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愛着障害を克服するまでの私の人生は、他人軸そのものでした。
特に記憶に残っているのが、母との関係性です。
私から見た母は、完璧そのものなんです。
家事はしっかりしていて
私たち家族の予定も全部頭に入ってる。
忘れるなんてことはほとんどありません。
そして、自分の芯を持って
家族を導く。
そんな母を見てすごい、というより
世の中の人はこんなに何でもできるのだと思っていました。
そんな母は、私に対して冷たい態度で接するというわけではなかったのですが、
私の提案や意見に対して、まずは否定から入るのです。
例えば、
「最近、肩が凝ってツラくてね。」
そんなことを母が言ってくるので、私はどうにかしてあげたいと
「ストレッチしたらいいらしいよ」とか
「お湯につかってみたら」とか
何かと提案してみるのですが、決まって母は
「いや、そんなの効かないよ」
「知ってるんだけどね、忙しくてなかなか」とか言って
素直に聞いてくれないんですよね。
大人になった今なら、母は頑張っている自分を認めてほしかったのだと分かるんですが、
幼かった当時の私は、
「自分の提案が悪いのだ」と自分を責めていたのです。
意見や考えを否定されるという、こんな日常の積み重ねから、
私は「自分の意見は聞いて貰えない」「私は期待にこたえなければいけないのだ」と
感じるようになりました。
そして大学生になり、親元を離れて暮らすようになってからもその思いは続きます。
自分の服装や持ち物でさえも
親の期待通りにしなければいけないのだと思うようになったのです。
友達と買い物に行って素敵な服があっても
母親が気に入らないだろうと思って買えなかったり
食べたいものがあっても母にお金の無駄だと言われそうで
極端に節約するようになりました。
このように「他人軸」で生きていた私が、
突然自分軸で生きられるわけもなく、
社会人になってからは、他人の顔色を窺って、
期待にこたえなければと思いつめた結果、
適応障害になってしまったという訳です。
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私が他人軸で生きていた時は、その自覚はなかったです。
でも親から離れ、新しい世界を知ったり
違う価値観の人たちと出会うことで
自分がどれほど親に合わせて生きてきたのか
窮屈な生き方をしているのかを知り始めました。
「究極の他人軸状態」だったんですよね。
この頃の私は「自分軸・他人軸チェック」のほとんどの項目に
当てはまっていたのではないかと思うほどです。
(第1章の最後に載せておきますので、ぜひ皆さんもやってみてくださいね。)
では、こんな私がどうやって他人軸での生き方を手放すことができたのか。
そんなお話を次章からはお話ししていきます。
第1章、お疲れさまでした。