「親を許しましょう」
「自分が幸せになるには人を許すことが大事です」
みたいなのあるじゃないですか。
あれ、どうもしっくりこなくって。
そもそも何で、被害を受けた側が加害側を許さないといけないのかなって
怒りと違和感がずっとあったんです。
私は生きづらさに悩まされていたころに「愛着障害」という言葉に出会って、生きづらさの原因が幼少期の親からの接し方だったと知ったとき
「親を許そう」だなんて思えなかったし、
許すイメージも湧きませんでした。
ではなぜ、今の私が愛着障害を克服し、親を憎んでもいないかというと、
親を許すことを愛着障害克服の目的にしなかったからです。
愛着障害は親の話無くして語れませんが、
克服には親を許すかどうかなんて、実は関係ないんです。
愛着障害の克服は、現在や過去の自分と向き合い、
辛かった出来事や今の悩みについて「自分が」どう感じたか、どう捉えたかということをベースに語り尽くすことで進んでいきます。
つまり、基本は「自分」であり、自分を加害してきた「親」はあくまで人生の脇役なのです。
親ではなく、自分と向き合い続けていると不思議なことに
親のことをあまり考えなくなってきます。
これは私だけでなく、私のところに相談に来てくださる人たちも例外ではありません。
カウンセリングが進むにつれて、話のベースが「自分」になってくるのです。
不思議ですよね。
さて、話が最初に戻りますが、
私の感覚では親を「許す」ではなく、「どうでも良くなる」の方がしっくりきます。
私の人生のほとんどを占めていた「親」という存在が小さくなる。
8割だと思っていたものが1割になって、他の9割が私の人生だと思えるようになる。
こんなイメージです。
最近は「毒親」というワードが広く使われるようになったことで、どうしても親に焦点を当ててしまいがちですが、
親を許すどうこうよりもまずは、
自分のことを語り、考えていきたいですね。
心理カウンセラーちえ
関連記事↓