発達障害だと思っていた私の勘違い

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こんにちは、
心理カウンセラーちえです。

今日は「自分は発達障害かもしれない」と思っていた私の話をしながら
愛着障害と発達障害の関係性についてお話ししていきます。

私は中学生になったあたりから
ずっと、人とのコミュニケーションについて悩んできました。

どうしたら周りの人とうまくなじめるのだろう、とか
嫌われないようにするには、とか

一人にならないために一生懸命でした。

社会人になって、その悩みはさらに深くなり

人の期待に答え続けないといけないと感じたり
変なことを言ってしまわないか不安を感じたり
するようになりました。

私はどう頑張っても、
人とうまく関わることができないと感じ、
疎外感を感じ始めた社会人2年目ごろ。

私は「自分は発達障害かもしれない」と思うようになりました。

だって、
人とうまく付き合えないし、なじめない。

さらに私は、こだわりが強い一面がありました。

例えば、患者さんの入院手続きをする際に、
作成する資料がたくさんあるのですが、
自分の中で効率よくできる作成順序がありました。

他の人が良かれと思って手伝ってくれた時には
その順序通りにいかずに
頭の中ではパニックになっていたのです。

他にも、匂いには人一倍敏感だし、
自分が使う机はモノを置きたくないとか
そんなこだわりがありました。

私の人生がうまくいかないのは発達障害があるせいだ、
と落ち込みました。

それから半年ほどたったころ、
職場になじめず休職することになります。

それをきっかけに心理カウンセリングを
受けることになったとき、

心理カウンセラーに発達障害かもしれないと思っていると
相談してみたのです。

すると、意外な答えが返ってきました。

あなたは愛着に傷がついているから
 そういうことが起きているのかもね

私は発達障害ではなく、愛着障害だというのです。

頭の中の靄が消えるような、視界が開けるような
そんな感覚でした。

発達障害は幼いころから継続的に症状がみられます。

たしかに、幼少期に発達の遅れを指摘されたことはないし、
子ども時代は今よりもうまく人との関係を
構築できていた気がします。

実際、医療現場でも愛着形成がうまく行かないことで
問題が起きているにも関わらず、
発達障害だと誤診されるケースが多いらしいです。

あの時、私は愛着障害と出会えて良かったと思っています。

自分の生きづらさの原因を知り、
その解決法もあるのだと知って希望が見えたのです。

人って、先に希望が見えていないと
行動できませんよね。

先が暗いと知っていながら
がむしゃらに行動できる人はごくわずかですし、
モチベーションも保てません。

愛着障害は克服できる。

これは皆さんにとってどれくらい
大きな希望になりますか?

今日はここまで。

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