こんにちは。
心理カウンセラーちえです。
今日のテーマは「どうして私は愛されないんだろう」。
私が「愛」について悩むことになったのは大学生になって少し経ったころでした。
大学生になった私は親元を離れ、寮生活を始めました。
3人1部屋の居住空間。
カーテンで仕切ったベッドから一歩外に出れば
いつも人がいる。
常に他人の気配を感じながらの寮生活は
人見知りの私にとっては修行のようでした。
そして、常にこんなことを考えていました。
”どうしたら人に求めてもらえるのだろう?”
”どうしたら嫌われなくて済むのだろう?”
人気者の友達を見るたび、
私だけが会話に入れない状況に遭遇するたび、
だんだんこの悩みは深くなっていきました。
「今まで私は愛されたことがあったのだろうか?」と。
このように考えたのは、実はこの時が初めてではありません。
今までずっと、私の中にどんよりと重くあったものでした。
幼少期から両親には私よりも弟の方が可愛がられていたこと。
私は両親からは褒められた記憶がほとんどないこと。
こんなことを思い出すたびに
とても苦しくて、悲しくて。
自分は愛されないんだ、と思うことが普通になりました。
きっと私は「愛」がどんなものなのかを知らなかったんだと思います。
だから、自分の愛し方も知らなかった。
今思えば、両親がしてくれたしつけや教育が「愛」だったのだと理解することはできます。
とても感謝しているし、家族のもとに生まれてよかったと心から思っています。
それでも、私が愛されていないと感じてしまったのは、
“自分を愛する方法を教えてもらえなかった”からだと思うんです。
両親の関わり方は私自身を否定するものが多かったです。
それは直接的ではなくても、口調や行動で分かってしまいます。それほど子どもの心は敏感なんです。
否定され続けた子供は「ありのままの自分でいてはいけない」と思い始めます。
これが自分を愛せなくなる原因です。
だから人に合わせすぎたり、人の目が過度に気になったりしてしまう。
「自分を愛する力」を育むには、どんな感情でも否定しないことが大切です。
例えば、転んで泣いてしまった子供に「痛くないよ、こんなことで泣かないよ」というのではなく、「痛かったね、大丈夫だよ」と共感的に接する。
小さなことですが、積み重なると子どもにとって大きな自信になります。
泣いてもいい、苦しんでもいい、悲しんでもいい。
愛着障害さんはこんな許しを自分に与えられないことが多いです。
でも…人間なんだもん。
泣きたいときもある。苦しい時もある。悲しい時もある。
「泣いちゃダメなんて誰が決めたのさ!私のことは全部私が決めるんだからね!」
これくらい強気でいきましょ。
では今日はこの辺で。
読んでいただきありがとうございました。